水面に映る空は、どこまでも深い。
蒼さの中に白い花が浮かぶ。
ただ傍にあるだけなら気付かなかった。
その一線を越えて気付いてしまったからこそ、もう後戻りは出来ないのだと知った。
「若」
そう呼ぶと、小さな背中をびくんと揺らし、不機嫌な声で応えた。
「片倉、何だ」
「まだ許してはいただけませんか」
傍に居るのに、顔は見えない。
もう一週間も経つのに。
「許す許さないは関係ない」
「では何故お顔を見せてはいただけないのですか」
自分を嫌うのならば、傍に寄らせぬことも出来るであろうに。
傍に居ろと言いながら、顔を見せてはもらえない。
「……お前に顔を見られたくないだけだ」
その所以に気付き、胸の奥に痛みを覚える。
「若…私は…」
「やれと言ったのは俺だ、お前を恨みなんかしない」
床に横になったまま、丸まるように体を縮める。
「でも、俺は…」
声が震える。
言いたいことが、痛いほど解る。
解るからこそ、これ以上傷ついて欲しくはない。
「………梵天丸様」
名前を呼んだ。
しばらく間を空けて、また応えた。
「…………何だ」
「若は美しいと、私は常に思っております」
行燈の灯りが揺れた。
「あなた様が醜いなどと、これまでもこれからも思うことはありませぬ」
「それをどう信じろという」
「………証明する術はありません」
この胸の内を見せることが出来るのなら、容易いことであるのに。
「ですが、若がこの片倉小十郎を信用出来ないというのであれば…この命、すぐにでも絶ちましょう」
「……駄目だ」
お互いの呼吸の音さえ大きく聞こえる、静かな夜。
「お前が居なければ………」
「では、その隻眼で、私の目を見て、信用できるか出来ないかを判断してくださいませ」
いつでもこの命、絶つことを恐れはしない。
初めてこの綺麗な魂を、無垢な心を、純粋な存在を見たとき。
これから先、その存在のために生きたいと、そう思った。
「片倉」
「はい」
「見るぞ」
「はい」
ゆっくりと起き上がり、右の目が包帯に覆われた顔がこちらを向いた。
顔色は悪いけれど、以前と変わらぬ、綺麗な顔だった。
幼いけれど、強い意志を持った顔。
「若」
「…………片倉」
「どうか、小十郎を、信用しては下さいませぬか」
目を逸らさずに、お互いの目を見つめる。
たった数秒であるのに、とても長い間沈黙が流れたような気がした。
「……………片倉、お前は嘘をついていない」
「…私は若に嘘など申しません」
「…そうだな」
真剣な顔が、ふっと緩んだ。
安心したかのように微笑んでいる。
「………………お前は花だ」
しばらくの間を置いて、声が聞こえた。
「若?」
「俺の前にはお前しか映らない。そしてお前は…花のように綺麗だ」
細い指が伸ばされた。
その指が、自分の頬に触れる。
「お前を見れば、俺の目には花の映る世界が広がる」
その言葉の意味を考えているうちに、首に腕が回されていた。
「……小十郎……」
「…若……???」
ふわり、と花のような香りがした。
やっと、自分が抱き付かれているのだと知った。
「……………傍に居ろ。ずっと」
耳元で囁かれた言葉に、はい、とだけ答えた。
首筋に落ちた雫を感じて、子供が泣いているのだと気付いた。
そして、抱きついたまま眠ってしまったその子供をきちんと布団に寝かせた。
「おやすみなさいませ、若…」
いつもなら。
それまでなら、それで終わったであろうに。
気付いてしまったから、もう戻れない。
この子供のために死ぬことを厭わない。
この子供のために生きることを厭わない。
この子供のために戦うことを厭わない。
不純であろうと、この子供が好きだ。
愛しいと思う。
愛してしまった。
そっと、唇に口付けて。
この子供のために花であろうと誓った。
この命、尽きるまで。